看護師として働いていた日々から一転、自分の“心地よさ”を探す旅に出たナツミ。今、彼女が暮らすのは──自然と共に呼吸する場所、オーストラリア。
海と山。動物たちが自由に暮らし、植物や虫たちも生き生きと顔を出す。自然とともにある暮らしが当たり前の日常として息づく国、オーストラリア。
豊かなビーチライフスタイルが揃うニューサウスウェールズ州で、自然と寄り添いながら暮らすナツミに今回はインタビューをさせてもらうことに。サーフボードを積んだままの車でふらりと現れ、ちょうどニュージーランドで行われた「The Single Fin Mingle」というサーフィンの大会から帰ってきたばかりだと話した。
そんな旅の途中で「ここ、お気に入りなんだ」と案内してくれたカフェ。緑がぐるりと広がるテラスが気持ちよくて、まさにオーストラリアらしい空気に包まれていた。
「やっほー!」
最初の挨拶で一気に気持ちが明るくなる。ナチュラルでフラットな雰囲気はきっとナツミの魅力の一つ。
「私のライフストーリー、めちゃくちゃ長いよ?笑」
そう微笑みながら話し始めてくれた。
ナツミは三重県出身、現在33歳。高校卒業後、名古屋の看護大学で看護学科を専攻し、卒業後は脳外科/神経内科病院に勤務。約2年の看護師生活のあと退職し、旅へ出る。フィリピン、バリ、鎌倉、奄美大島、宮崎、そしてニュージーランド…。さまざまな土地をめぐる中で出会ったサーフィンとレイキ、そして瞑想技術が今の彼女をかたちづくってきた。
現在はアライメントレイキ®︎というレイキスクールを立ち上げ、多くの人を癒しながら瞑想を通して心も身体も健康に生きることを伝えている。今はオーストラリアの永住に向けた準備も少しずつ進めているという。
「もともとの私は、些細な言葉とか人のエネルギーに参ってしまう繊細な性格だったんだよね。」
そう話すナツミの姿からは、今の彼女の伸びやかな印象とは少し距離があるように感じる。
「病院で働いていたとき、上司や先輩からのあからさまな嫌がらせが続いて…毎日が本当にしんどかった。」
“他人軸で生きてた” 彼女からでたその言葉が、心に残った。
「あの頃の私は、他人にどう思われているかを気にしていて、今思うと自分の声をちゃんと聞いてあげれてなかったなって思う。
結局、限界がきて退職したんだけど、不思議とそのとき心の中で、“誰かのために、もっと純粋な気持ちで生きたい”って叫んでたの。それで、気づいたらフィリピン行きのチケットを取ってた。」
そうして選んだのは、ボランティアというかたちでの新しい環境への一歩。さらにボランティアを終え、オーストラリアへワーホリに行く流れに自然と動いていった。
『自己探究』
少しだけ訪れたことのあったオーストラリアに、憧れを抱いて飛び立ったナツミ。けれど、そこで待っていたのは予想もしなかった“どん底”の時間だった。
「当時のホスト先でも住人が結構厳しくて、そこでの圧や言葉の壁がとにかく重く感じちゃって私のメンタルがどんどん落ちていったの…」
過去に負った心の傷が癒えきらないまま飛び込んだ異国の暮らしは、彼女にとって想像以上に過酷なものだったと話す。
「些細なことも全部が大きく感じて、朝泣き叫びながら目が覚める日もあったし、家からも出れず、“もう消えたい”って言葉も何度も口にしてた。今思えばあの頃の私はストレスに押しつぶされていたんだと思う。」
そんな深い闇の中で、 当時24歳の彼女は“瞑想”と出会うことになる。
「これはさすがに日本に戻って、一度ちゃんと立て直さないとダメだって思って。結局、移住して半年も経たないうちに日本へ戻ることになったんだ。」
帰国後は、オーストラリアの友人に勧められた瞑想を日々の習慣にし、とにかく“できることから始めよう”と、自分を整えるための時間が静かに始まった。
瞑想は心と体を落ち着かせ、呼吸を整え“今この瞬間”に意識を向ける練習。思考や感情から少し距離を取る時間が、彼女にとって心の支えになり、自分を整える一つのツールとなった。
『自分が自分のいちばんの味方であれるように』
彼女の言葉を聞いているうちに、ふとそんな想いが浮かんできた。
壊れそうなときも、泣きたいときも、うれしいときも。どんな瞬間もそばにいてくれるのは、いつだって“自分”。
もしかしたらそんな尊い存在との絆を深めていくのが、人生の大きなテーマなのかもしれない。人生の中で一番長く近くに寄り添う相手に、いつでも”大丈夫だよ”と声をかけてあげられるように。
「帰ってきてからはひたすら自己探究に時間をかけたんだ。自分は何が好きで、何がしたくて、何にワクワクするのか。どこに向かって生きたいのか。自己分析・自己理解が私の人生を大きく動かすキーになったと思う。もちろん毎日欠かさず瞑想もしていたよ。」
”メンタルを整えるには、まず自分を知って、自分の“好き”に集中しないと!”
その言葉の通り、彼女は自分自身とじっくり向き合う時間を大切にしてきた。
ノートを開いては、思いのままに言葉を書き出す。心の奥の声に耳を澄ませ、過去や未来ではなく“今”に意識を向ける。そんな小さな積み重ねの中で、自分の中から出てくるキーワードが道標となり、少しずつナツミの輪郭がはっきりとしてきたという。
「素敵なライフスタイルを送っているな、いいな、って思う人に会いに行ったりもしてたよ。インスタのフォロワー数とか関係なく、雑誌や記事で惹かれた人に直接連絡して、生い立ちや暮らしぶりを聴かせてもらったの。その人たちの過ごしてきた時間や価値観に触れることで、私の心がワクワクして、“私にもできるかもしれない”って自然と思えたんだよね。」
そんな行動力は、彼女の内側にあるエネルギーをどんどん引き上げていった。
そして、心を整える手段のひとつとして始めたのがジュエリーづくり。
「ただ手を動かして、無心になることで救われてた。やっていくうちに、少しずつ心が落ち着いてきて、“楽しい!”って感じられるようになったの。」
自分と丁寧に向き合うその時間こそが、ナツミにとっては何よりも大切な“心のケア”だった。そうやって、自らを立て直すための“ツール”を増やしていくことが、穏やかな心へとつながっていったのだ。

『大きな転機』
25歳で移り住んだ鎌倉での暮らし。ここの土地で自分と向き合う濃い時間を過ごしながら、鎌倉での日々の風景や出会いが、少しずつ彼女の進む道を照らしはじめた。
「その頃から、なんとなく流れがいい方向に変わっていくのを感じてたんだ。ジュエリーのpop upに挑戦したり、気づいたらサーフィンやレイキも始めていて。いつの間にか周りにはスピリチュアルな人たちが増えて、精神的な世界とのつながりが出来始めていたんだよね。」
静かに、自分自身と向き合ってきた時間が動いていた。
「サーフィンもレイキも、“やろう!”と思って始めたわけじゃなくて、ほんとに自然な流れだったの。レイキなんて、たまたまpop upしてた時に、隣のブースにいた人が先生だったっていう出会いで。周りにスピリチュアルな人が増えていたから、その出会いもすっと受け入れられた。」
そんな“偶然のような必然”に導かれるように、物事が彼女へと矢印が向いていった。人は環境と出会いで良いも悪いもガラリと変えることができる。良いものだけを引き寄せていったナツミが言ったのは、”自分自身が心からワクワクしていたから”。
生き生きするものを見つけ出して、それを1日の中でもなるべく多く取るようにしてたと話す。そんな彼女は一年後、26歳の時、ワークアウェイを使って1ヶ月のバリ島旅へ。
その旅でレイキとの関係が深まることに。
『アライメントレイキ®︎の始まり』
いまのナツミの軸となっている「アライメントレイキ®︎」。2022年に立ち上げたこのレイキスクールは、彼女にとっても、自分自身を深く整えるための大切な拠り所になっている。
「バリに滞在中、ヨガスタジオでボランティアをしながら、毎日ヨガと瞑想。そしていつも通り瞑想してたら突然、“レイキをやらなきゃいけない”っていう感覚が、ふっと降りてきたんだ。」
「突然降りてきた言葉なんだけど、その感覚があまりにも強くて日本に帰ってすぐ学ぼうと決めたんだ。最初はレイキ自体そんなに信じてなかったのにね。」と微笑む。
思い返せば、鎌倉に住んでいた時にpop upで出会ったレイキを伝える女性。あの時も、やっぱり自然に導かれるように、その出会いがあった。その後、その女性から本格的にレイキを学び、資格を取得。
奄美大島や宮崎に移住してからは、延べ300人以上にレイキを届ける機会にも恵まれた。彼女ならではの鋭い感性で、まずは自分自身を癒しながら、その技術を静かに、でも確かに、多くの人へと受け継いでいった。
「自分がどん底にいたとき、“自分のメンタルを整えるツールが少なすぎる”って感じたんだよね。もっとツールがあれば、救われる人も増えるはずって。」
病院や薬に頼るのが当たり前になっている世の中で、もっと日常的に、自分を整える方法があってもいい。その想いが、ナツミの根っこにあるエネルギーを静かに支えていた。
「これは、私が死んでも残ってほしい技術なの。絶対に誰かのためになるものって確信があったから。だからこそ、私がいなくても伝えていける人を育てなきゃって。」
自分が救われたこの手法を、今度は誰かを救う力として。彼女はそのエッセンスをまとめ、先生を育てることに力を注いでいる。実際に彼女のもとで学んだ受講生たちは、「自分の感覚が信じられるようになった」「人生が変わりました」と口をそろえる。
レイキの技術以上に、自分の心と丁寧に向き合う時間が、何よりのギフトになっているのだ。その変化の中に生まれる笑顔が、またナツミの力になっていく。
「今は、チームのみんなが成長していくのを見るのが本当に嬉しくて。みんなが良い方向に進んでいくことが何よりもストーク(stoked) することだって気が付いたの。だからこそ、日本で私が大切にしているメソッドを、同じ想いで伝えてくれる仲間を探してよかったって思ってる。」
”自分だけを癒してハッピーになることには、限界がある”
様々な世界を見て、色んなフェーズを経てきた人だからこそ言えるフレーズだと感じた。
「レイキだ!ってバリで降りてきた感覚と同じタイミングで、実は”ニュージーランドに行く”ってことも強い感覚として降りてきたんだ。だからバリから帰ったあとはその地に行こうとその場で決めてたんだ。」
瞑想を通して感覚が鋭くなっていくナツミ。当時27歳の彼女は帰国後すぐにニュージーランドに向かう準備を始めた。


『ニュージーランドで出会うウェルネスの在り方』
「今の私の軸は、ニュージーランドにあると思うの。」
そう語るナツミの表情は、どこかすっきりとしていて、軽やかだ。
当時情熱を注いでいたサーフィンに、心ゆくまで向き合える暮らし。海と共にあるシンプルな生活。そのすべてが、ニュージーランドにはあった。
「 “ウェルネス” ってなんだろうってずっと考えてたんだけど、ここに来て、体感としてそれを学べた気がする。本当にみんなシンプルなの。」
ナツミが出会った現地の人たちは、自然とともに暮らし、無理をせず、あるがままを大切にして生きていた。嫌なものは「嫌」、疲れたら休む、自分に優しくあることが当たり前に根づいていた。そんな姿に触れるうちに、ナツミ自身も「そうあっていいんだ」と、少しずつ肩の力を抜けるようになっていったという。
心を整えるために始めたジュエリーづくりも、その暮らしの中で大切な時間となり、いつしか“無心”のひとときは情熱へと変わっていった。
「とにかくサーフィンがしたかったの。サーフィンがある暮らしを手放したくなくて、じゃあジュエリーを作って、それで生きていこうって決めたの。時間や場所に縛られていた頃にはもう戻りたくなかったし、“自分の好きなことだけで生きていく”って、本気で決めてたから。」
そう語る彼女の瞳には、ゆるぎない意志が宿っていた。
「道ばたにテーブルを出して売ったこともあるし、自分からお店に声をかけて、置いてもらえるようお願いしたこともあったよ。」
笑って話すナツミ。
「“絶対これで生きていく”って覚悟してたからかな。だんだんと買ってくれる人が増えて、作品を扱ってくれるショップとも出会えて。最初は頑張ってたけど、気づいたら、生活ができるくらいになっていたんだよね。」
彼女のジュエリーを手に取る人たちは、不思議と同じような周波数を持つ人だったと話す。ジュエリーを通して出会う人たちは、あたたかかった。自然と共にある暮らしの中で、人とのつながりもどこか自然体で、意識しなくてもコネクトできたという。
理想を軸に生きるには、ときに何かを手放さなければならないこともある。それでも、自分に正直に歩んだ先には、いつしか憧れた景色が、目の前に現れていた。
“引き寄せ”とは、ただ待つものではなく、意思と行動で形づくられていくもの。ナツミの生き方は、それを教えてくれる。
「夢って、叶わないことのほうが少ないと思う。ちゃんと行動してれば、きっと叶うんだよ。」
遠いようで、実はすぐそばにあるもの “夢”。それを実現している人は、決まって行動している。
ニュージーランドでの暮らしは、ナツミにとって“こうでなきゃ”を手放し、“このままでいい”を受け入れる時間でもあった。そして、ただ「生きる」ということの原点に、そっと立ち返らせてくれたのだった。
どこにいても、どんなことをしていても、ナツミが何より大切にしているのは、“自分にとって心地いいかどうか”。
迷いや葛藤もすべて糧に変えながら、自分だけのライフスタイルを丁寧に築いてきた彼女の姿には、“暮らすこと”や“働くこと”へのヒントが、静かに宿っていた。
自然とともに生きること。自分の感覚を信じること。それは決して特別なことじゃなくて、もっと身近で、もっとシンプルな選択なのかもしれない。
ナツミはこれからも、そっと光を手渡していく人であり続けるだろう。
Natsumi Okuda
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ALIGNMENT REIKI®創設者 / Aroha Community主宰
活動内容:レイキ講座・セッション、リーディング、コーチング、瞑想講座、リトリート・イベント主催、執筆
2014年に看護大学卒業後、看護師として勤務。体調不良を機に退職し、瞑想や精神世界を学び始め、2018年にレイキと出逢う。サーフィンや旅で「心身を健康に、人生を幸せに生きるためには?」というウェルビーイングを探求し、現在はオーストラリアでウェルビーイングで豊かな生き方を伝える活動を展開中。
Article and photos by Hinako Kanda